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ブログを書き始めて10年経とうとしている。
なんで始めたんだか覚えていないけど、確か最初は楽天ブログだった。
開設自体は13年前で、ブロガーブーム到来により主婦は在宅ワークでアフィリエイトで稼ぐのが最先端みたいなペラサイトが大量にあった時代だったのだ。
そんで
私もアフィで稼ぎたい。。。と思わなかったとは言わない。でも実は専業主婦ではなく専業のコピー屋だったので体験談コピーみたいなのは仕事でかなりの数こなしていて、得意だったし、ちょろいと思って興味本位で手を出した。でも何より、商業主義とは真逆の通販レビューブログをやりたくて当初は開設したのだった。実際は仕事が忙しくて2年も放置しており、二人の子どもを産んだのち、育休に入ったちょうど10年前に復職が不安になって暇時間も増えてきたことから再開したのが本当のところ。
でもやってるうちに好きなこと書けるのが何より楽しくなって、記事を作るのにすっかりハマってしまった。生活の世界線と育児の世界線と仕事の世界線とは別に、何かを創作(捜索)している世界線があるのがとにかく楽しかった。
でも何しろマニアックな内容だったから検索からも楽天ブログからもろくに誰からも読まれなかった。月間100〜200pvとか。ブロガー交流も全然しないので感想も聞けないし反応もない。それでもその状態でも楽しくて、夢中になって5年も続けてやっていた。実質3年くらいしかやってないから100記事くらいしか書けてないけど、そこまでやってからようやく「やっぱり知らない誰かに読んでもらって、感想とか欲しいかも」と思い始めた。それで5年前にちょうどイケイケどんどんだったはてなブログに移設したのだった。
はてなに開設してからは毎日が発見とコーフンの連続でキラキラしていた。とにかくすごく楽しかった。ちょっと忘れてると思うので今の自分にはぜひ思い出して欲しい。いったい何が楽しかったのか。自分なりの表現方法を模索するのがすごく楽しかったのだ。
自分の表現したいことを一般化して最大公約数の読み手に伝えるための面白い表現方法を考える、表現したいこと×表現方法の掛け算、そしてそこから導かれる答えとしての反応全てが未知数。更新するたびに自分が思いもよらない反応がある。それがとにかく楽しかった。
でもそれも2018年までだった。昨年の備忘録に書いてあるけど、反応を追いかけ始めると結局消費されるためだけのものを追うことになる、というジレンマに陥ったのね。すごくシンプルに説明すると、ママ友と人間関係のテーマを追っていくと必ず「いざこざ」とか「トラブル」「嫌がらせ」「マウント」「カースト」とかがフックになってくる。反応や消費する読者もそういう趣向性が強い人が多くなってくる。単純にそういうのを書きたくない、そういうターゲット層が集まってくるブロガーにはなりたくないなって思いが強くなってきた。
記事数はでも200いったか?前よりは書いてるけど漫画とか小分けにしたところが多いせいもあると思う。いろいろ言い訳してるけど要するに、何やってても一つのテーマで大体3年くらいで飽きちゃうというのもあると思う、私が。もともと飽きっぽいから。それでまた新しい興味の方向性に仕切り直すんだろう。このサイクルは今までの人生通してずっと変わらないのでそろそろ自覚した方がいい。熱中しやすいけど大体3年くらいで飽きる。だから次やるならせめて3年で300記事くらい書けるテーマ設定しないといけないなあ。
でも2010年から続けてきてトータルで10年、それぞれ3年本腰入れてやって前後にゆるい1年ずつのモラトリアム期間がついてたって感じだったけど、間が開いても1ヶ月くらいしか休んだこともなく、ダラダラする時はあっても、ずーっとブログ記事のことを考えて生きてきたわけだ。一銭も儲からないのに。(笑)
いや、一銭も儲からないのは嘘。
それじゃああまりにも報われないので、この10周年の節目に、今年、これまでのブログ収入で貯まったお金でIpadproを買いました。何かしら目に見える成果物が欲しかったので。10年やってきた証、みたいなのが欲しかった。
それが一番いけなかったかもしれません。
そこから何もブログをやる気が起きなくなった。もうやり切った感いっぱい、晩柑の想い。今度こそ、本当にブログやめるかもという気がしている。ブログやめたら本当にタイクツなので次何しよう。
裏ブログの最後の更新が2018年の頭で止まっていた。その頃にこちらを非公開にして、全部他のブログも閉じてしまった。
2018年はとても忙しく、とてもブログやってるような状況じゃなかったのに、PTAも副委員長やって、電書も作って、仕事も大変忙しく、それなのにブログも月3も書いて、ホント何やってんだかって感じで生き急いでいた。電書のことがあったので、とにかく人気のありそうな記事を続けなければならなかった。…続けなければならないって誰が決めたのかな?
何かに取り憑かれていたのかな???
それで10月くらいから本気でブログ書くの嫌になって、2018年の12月で一旦やめようと心に決めた。その間、ブログのPVはうなぎ登りでついに10万PV突破したが虚しさしか残らなかった。私は自分の娯楽に疲弊していて、生み出された娯楽はただ全国の何万という退屈な人々に消費されているとだけ感じていた。
全然楽しくなかった。嬉しいことはたくさんあった。でも遊びとして楽しかったか?
私はこのブログで何をしたかったんだっけ?もう一度思い出してみた。
ただ遊びたかっただけだ。
インターネットにクラタイクツという人格を生み出して、一緒に遊んでくれる仲間を探して、ふわふわ漂っていたかっただけ。それがこの有様。その目指したものは何一つ叶わなわかった。消費社会の娯楽理論に飲まれたくなくて始めた独自の娯楽でこれだからさもありなん、って感じ。結局、私は消費社会の申し子だったのだ。
それから半年間クールダウンして、好きなこと気ままにやってきたのだけれど、ようやく正気になってきた。私はやっぱり有名になりたかったんだと思う。有名って漠然としてるけど、何か、わかりやすい肩書きがあったり、はてブとか読者数とかPVとかフォロワー数とかバズとかの数字や、あとなんだろう?よくわからないけど〇〇ブロガーとか、そんなものが欲しかったんじゃないのかな。自分に自信がなかったから。
でも色々手に入れてみてさ、虚しさしかないことがわかったのよ。天井がないことも、上には上がいることも、そこで結局自分が何をやりたいか問われていることも、わかった。でも私はもともと遊びでやってるからさ、ないんだよ。「何をやりたいか」がない。「何をやりたいか」に自信がないと、自分のやることに自信なんて持てない。
私はただ遊びたいだけだ。自分の独自の遊びで。その独自の遊びにたくさんの人を巻き込む自信がないだけなのです。
そのためには知名度が必要だって勘違いをしていた。知名度は邪魔にしかならなかった。PVが上がったり、はてブが大量についたり、フォロワーが増えたり、バズったり、そんなことがたくさんあっても、ちょっとアドレナリンが出て興奮するだけで、それ以上にたくさんのノイズ(ヘイトとかトンチンカンな物言い)がなだれ込んできて遊びの邪魔をする人しか増えなかった。理屈としてはわかっていたけれど、体感としてよくわかっていなかったんだと思う。
承認欲求が「衝動」の根源ならそれでも楽しいだろう。でも私は承認欲求が他の人たちよりかなり薄い。それもよくわかるようになってきていた。承認欲求が薄いというより、自分のそれに嫌悪感が強くてうまく戯れて楽しむことができない。
それが全部わかって、いろんな呪縛から解放された今は、本当にゼロになって、とてもスッキリしている。悟りの境地。そしたらまたタイクツになってきた。
次は何をやろうかな〜。久々にワクワクしてきたので裏ブログを更新しました。