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「返報性の原理」を体現できるか否かでネット上での存在価値が左右される件

すごく忙しかった。あと2週間くらい、まだ、すごく忙しいので何もできない。

ところで、何もできないとネットで絡んでくる人の数があからさまに減った。当たり前だけど、活動していないのでネット上では死んでいる状態。死んでいるというのは、単純に、ツイッターのアカウント上で何もつぶやかない、いいねしない、リツイートしない、リプしない、フォローもフォロバもしない、ということ。はてなでは、他のブログを見ない、星つけない、ブクマしない。

そうすると、当然のことながら、自分のブログやツイッターも閑散としてくる。

たまに時間ができて、ちょこまか活動する、そうすると、いいね返しや星返しやブクマ返しがその時だけあからさまにもらえるわけ。

。。。。これは、なんだろう、あれかな、ママ友同士の子ども褒め殺し合戦と同じようなものかな。。。でも「いいね」返しの方が私は身にこたえるな。この「いいね」返しみたいなマナーはリアルママ友界ではないと思います。おさがりをあげたら、いつもお返しにもらうお菓子みたいな感じかな?でもおさがりのお礼は物々交換だからわかるけど、「いいね」は自分の発言とかブログに対する「いいね」だから、本当に「いいね」と思ってなくても付けるわけでしょ?こちとら「いいね」返しが欲しくて「いいね」してるわけじゃないのにそんな賛同もらっても嬉しくないなあ、うーーん。

あー、わかった、あれに近いんだ。

「あなたの新しい髪型、素敵ね。若く見えるわよ」
「えーありがとう。嬉しいわ。あなただって若く見えるわよ!」

この「若く見えるわよ」は余計じゃね?ていうこれと一緒だ。たとえ本当にそう思ってたとしても、このタイミングで言われてもこじらせ女には取って付けて言った社交辞令にしか聞こえないんよ。これと一緒の感じだわ。マナーじゃなくて社交辞令だ。

こういうこじらせ方してるからママ友できないんでしょうね。

んだから、ネットで「ママ友少ない」って言ってる方々、全然、そのまま「返報性の原理の体現」をリアルでもやれば、ママ友できると思いますよ。私なんかよりよっぽどセンスあるよ。というか、私にはそっちのができないよ。


もっかい復唱・はてなブログ初心者に送るはてな鉄の裏掟
はてなブログでスターをもらったらスターをつけ返しに行こう!
ハテブつけてもらったらハテブつけ返しに行こう
読者登録してもらったら自分も読書登録返してお礼を言おう
ツイッターブクマ連携は基礎中の基礎!
ツイッターで「いいね」されたら「いいね」返しをしよう
リツイートしてもらったらリツイートしてお礼
フォローしてもらったらフォロバしてお礼
セルクマ2ブクマついてから
コメント3日以内に返して・・・云々

ムリアルムリアルムリアルムリアルムリアルーーーー

でもね、最近、そういう人気取り方式をシステマティックにやっていて派手に攻撃されてる人をはてなでお見かけしました。以前からこういうこと書いててあなた読者でしょっちゅう見に来てるけどわかってないよね?って無情なプロレスしかけられてた。ひい〜〜〜!!
ほとんど読んでいないでスターやハテブつけてるからそういうことが起こりうる。恐ろしや恐ろしや。
ツイッターでも時々起こりうる、「今までフォロワー気取ってきたけどあんた本当は私のこと好きでもなんでもないでしょ?なんなの?」系のプロレス。果ては言葉尻の取り上げ合戦になる。
だからSNSとかブログも怖いんだ。「この人自分のこと好きではないんだなー」感はなんとなく捉えてお付き合いしていないとすぐ接触事故になる。「前々からあなたの発言あまり好きではなかった」とか思い出しクレーム始まったりする。
高校の時に「今まで仲良くしてきたけど本当は好きじゃなかった」ってカミングアウトする謎な女いたなー。私の友達じゃないけど。

慣れればそういう世界にも慣れてくる。現に今までの自分は慣れてきていたし、できてきてもいた。でも今はリア充だからダメだ。そういうのなんか機械仕掛けのロンリネスと思える。(BOOWY?)違うな、なんだっけ?鏡の中のラビリンス?( PERSONZ?)

ということがA面で書けなかったのでこちらで書きました。

今回のA面記事
【徹底比較】めんどうくさいママ友やネッ友は「ゆるいつながり」を死守せよ【第2回戦】http://mamazero.hatenablog.com/entry/mamazero107




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ハテブと互助会と雑感と

もうすぐはてなに引っ越して1年になる。

はてなブログにいって本当に色々あったなあ。楽しかった。ハテブが最初怖かったが、そのうち指標?偏差値みたいに感じて劣等感とか嫉妬を抱きそうになったり、でもその闇に落ちることなくアクセスされるようになってそのうちどうでもよくなってきた。

確かにあからさまに「お愛想ブクマ」つける人はそれなりにいる。それが気にくわないという人がいるのもわかる。でも名刺みたいなもんで最初は色々な人に声をかけていかないと始まらないし、それが営業か挨拶回りかなんて線引きは難しすぎてできない。

根っからブログ回りが好きな人もいるし、仕事的にタスクとしてしている人もいるけどまあどっちも自分の感性にあわないとつけてらんないし、ブログコミュニケーションはそういうものだからと言ってしまえばそれまでだ。
それにどんなにそういう営業やってもなかなかスターに上り詰めることはできなそうだと見てて思うぞ。あくまでもきっかけにすぎない。そのまま中堅で終わる人もたくさんいるからな。互助会だけでスターになれるとかやっかんでるんだったら甘いよ。

逆にハテブはそんなについてないけど素敵なブログでPVはすごい、というようなブログもたくさんあって、けどそういうブログに限って必ずPV報告があるの、あれプライドなんでしょうね。こんなにアクセスあるブログになりました!!みたいな。発表しないとわかんないし、誰も評価してくれないから自分から言うしかないんだよな。わかるよ気持ちは。だからハテブと読者数はあんまり関係ないんだなと。どのスタンスをとるかでアプローチの仕方も全然ちがうんだよ。

自分もハテブついてない記事でもバズみたいなことが多々あり、なにこれ?なにこれ?こわいんですけど、というのは全部グーグル関連のバズで(たぶん)、経験したことないけどはてブのバズとかとあまりインパクト変わらないしむしろ全然攻撃性がないからそっちのが助かる、というくらいの体たらくになってしまった。(はてなブログのトップとかホッテントリ怖いんだよマジで。)はてなは検索に強いって言われてるけど、そうじゃなくて、総合的にグーグルアプリのカードに選ばれやすい意味での強さがあるようですぞ。

特にはてなブログはとにかく初心者が挫折しにくいよう露出を高めるシステムがよくできてる。ドメインパワーうんぬんより、ブログを通したSNSとしての機能が優れているので初心者でも繋がりが作りやすいしシエアされやすい土壌がある。だからそれをマネタイズに利用したい人がたくさんいるのもわかる気がする。私だって副業目的ならレビュー記事という名のステマ雑記ブログをいっぱいやりたいよ。(むしろ広告コピーが本業だったんだから今さらいいこぶってもしょうがないんだそこ)

うーん、でもやりたくない。なんでだろな?金稼ぎが目的になるととたんにめんどくさくなるな。クラタイクツってもともと自分の娯楽のために作った書き手だから、金稼ぎ(仕事)とか目的とか背負うと存在意義が破綻しちゃいます。


ただ、この1年に何度も色んな引き合いをいただき、それが心底びっくりした。本当に、なぜ末端ブログの私に!?という案件が多くてな。一番びっくりしたのがこの一番忙しかった2月にいただいたTVの取材の件で自分が好すぎる番組だったので舞い上がりすぎて断ってしまった。(こじらせすぎだからーーー!!!!)
せっかくいただいたお話なのに本当申し訳ないです。心からごめんなさい。でも好きな番組だからこそ荷が重すぎてな…色々話を盛ってしまいそうで、そんなんで番組汚したくないわとか無駄手間かけさせたくないとか思いすぎてもう本当にこじらせすぎてるからーーー!!!!

そうやって色んなチャンスを不意にしてきたことを思うと(ヘタレだから全部断ってる)自分のチャレンジ精神の貧困さにはホトホトあきれかえるよ。
でもはてなブログ本当に、すごい。チャゲアスのチャゲじゃない方が選んでるだけあるわ。忍者でくすぶってる人はすぐさまはてなに行きなさい(←あんた結局ここ残ってるじゃないの!?)

そんなわけで2年目からはもっといろいろチャレンジしてみようと思います。2年目突入企画(て本編では一言も言ってない)のA面はがんばってアンケートやったり連載に挑んでみたりしています。そして前回こちらで書いた記事のA面が次の次くらいについに登場します。

今回のA面記事
ママ友とネッ友、どっちがよりめんどうくさい?http://mamazero.hatenablog.com/entry/mamazero106








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ブログは人生を写す鑑ではあるが人生そのものにはなりえない

ブログから大分心が離れてきたので心が安定してきました。

あの、「活動し続けていないと損をしている気分」はスマホアプリゲームに匹敵するムダな焦燥感だったように思う。

それくらいのめり込んでいた(笑)

まあそれくらいのめり込まないことには第一線に立てない世界でもあるとは思う。でも私はそこまでやっていたら「ヤバそうだ」という感覚のが強くなってしまった。

今日、娘と話したことだが、この「これ以上深みにはまったらヤバそうだ」という感覚はつきつめると「失敗したらヤバイ」という感覚に似ていると思う。

この感覚は「失敗してみなきゃわからない」というありていの言葉では払拭されない。遺伝子とか本能に刻まれた何かなのだと思う。娘にもそれがあるというのがわかって、大袈裟だけど、これはDNAレベルの性質かなにかなのだなと強く感じた。

今まで生きてきて、「この人は同じ側の人間だな」と感覚的に思った他人はみなこの性質の人だったように思った。「失敗を極度に恐れる」というと語弊があり、実際には「石橋を叩きまくって渡る人」

石橋が、安全なことはわかってる。ただ落ちるのが怖い。落ちてひどい目に遭ったことはないのにも関わらず、落ちるのが怖い。落ちてケガするのが怖いとかではなく、どんな落ち方するのかわからなかったり、落ちた後に「石橋落ちた人」と見られた自分とどうつきあっていけばいいのかわからないのが怖い。

周りにどう見られるかと言うより、自分が「なんであんなバカこと」「やらなければよかったのに」「自分の愚かさのせいでろくなことにならなかった」などと死ぬほど後悔したり自責の念にかられたりしそうで辛すぎて怖い。自信過剰なうえに自意識過剰なのだ。だから自分を納得させるために(やるだけやっての失敗だから仕方なかったと思えるように)石橋を叩きまくる。

私はこういう部分については自分の幼少期にコンプレックスが強くなったり否定される経験が続くことで育まれたと思っていた。でも娘をみていたら、小さな頃からすごく自己肯定感が強く、周りから全面的に容認してもらえるような環境にいたにもかかわらず、ずっとこの性質を持ち合わせ続けていたことから、先天的な性質だと感じた。

ではこれをどう克服したらいいのか?

娘が言うには「もっと色んな成功経験やチャレンジ体験を積むことで、自分を信じることができるようになって、怖くなくなるのだろう。それはなんとなくわかるのだ」とのこと

それもそうなんだけど、私の経験からすると、解釈がちょっとちがったのね、
「色んなチャレンジやつまらない体験から色んな失敗や恥ずかしいことを経験していくうちに、あれ?意外に私は失敗してもなんてことないな、ということがわかって脳も慣らされて、そのうちどーでもよくなる」そんな感じ。
でもそれいったら「どーでもよくなるのもどーかと思う」と娘にも言われたので、確かにそういうみずみずしい劣等感みたいな感覚って、それを失うことへの恐れが昔はあったなあ、(思春期特有な少女性喪失への怖れみたいなやつ?)と思ったがそれは言わないでおいた。

そんなこんなでみずみずしい劣等感はとうに失われかけた私だけれど、まだあの頃と変わらないような絵と文とか書いてて、それにのめり込むのが怖いとか、そういう感覚があるのかと気づいてびっくりした。
でも考えてみたら、石橋わたるのが怖いんじゃなくて、もっと簡単に渡れる方法が他にあって、そっちやってみないと死ぬほど後悔しそう、という怖さかもしれない。
いま、リアル世界の方が、色々作ったり表現したりして誰かに喜んでもらえる機会がたまたま多いものだから、そっち頑張らないと、あとで「なんでブログなんかにこんな時間裂いて多くのものを犠牲にしてきたか!!!」と自分を呪い殺しそうに後悔するのが怖いんです。

やっぱり、ネット上の誰かに文字列だけで喜び伝えてもらうのと、実際に目の前にいる相手に笑ったり喜んだりしてもらうのと、全然ちがう、反応がライブで見られる方が自分も嬉しくなるし断然おもしろいのです。

たとえて言うなら、今まで一心不乱に石橋つくったり叩いて強度確認したりして渡ってきたんだけど、そこにクルージングというチャンスが巡ってきたような感じ。クルージングして川回ってきてからまた石橋作業やればいいんじゃない?というような。今クルージング免許とるための勉強に時間かけたいのに、石橋叩いてるわけにはいかない、とかそんな感じなのです

ブログとか石橋のが優れてることもあるし、それは例えば、もう関わる人の母数が全然ちがうとか、自分の範疇も時もはるかに越えた様々なクラスタとの交流があることだとか、魅力がちがうのはわかってはいます。実際、石橋やブログの方が時間はかかるけど、より時も空間も越えた多くの人びととの対話が可能なのでしょう。

でも石橋を作るのが目的になってはだめですよね。川を渡るだけが目的になっては。川を渡ってクルージングの免許取りに行ったり、どこかへ遊びに行ったり、見知らぬ誰かがその橋を渡って新しい道を見つけたり、そういう喜びとか生活が橋の向こうにあって、いよいよ石橋も価値のあるものになるという気がします。

ブログは人生を写す鑑なのかもしれないが、人生=ブログにはなりえない、ですよね

今はそんなこと考えています。だんだんただの日記になってきているけど、もちろんこれもB面記事であり、なんとこのA面をはてなに書きます。

ようやく書きました。
【徹底比較】ママ友は投資、ネッ友は定期積立、賢く運用しよう【第3回戦】
http://mamazero.hatenablog.com/entry/mamazero108





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リンゴ日和の中の人と仲良くなった話

この頃、自分のブログがのブコメ欄がワチャワチャしていてマジでありえねー。

どーしよー。

自分は何もしてないのにな。。。いろんな人と仲良しになってくるとどうしてもこうなるな。
確かにいろんなブロガーと交流したくてはてな行ったんだけど、この方向性は戦略外だわ

私が一番懸念しているのはね、ママ友0人読むような心をこじらせた読者さんが、その馴れ合いブコメ欄見て「おまえも結局ワチャワチャしてんじゃねーか!」とガッカリしているかもしれないことです。全国で56人くらいしかいない本当の読者さんごめんなさい。

どうすりゃいーだろな?

そうこうしてる間に10月と11月は自分的にいろんなことが起きた

まず隠れウォッチャーだったのにひーたむさん(りんご日和中の人)とちょっと交流ができたこと
私がリア充でめちゃ忙しい時期に、3日くらいTwitterを放置していたらその間にひーたむさんが「ママ友0人」フューチャリング・リンゴ日和記事書いてくれてただよ

相当盛り上がっていたにもかかわらず私は微塵も気づかず(マジで忙しかったよねー)これいわゆるはてなブログでやってたら言及記事やな。でもはてなじゃないから呼び出しもなくて全く気づかんかったわゴメンネ

あまりの鈍感さになんとTwitterで直リプもらって(書きましたよ、見に来てください、と)初めて気づいてギョーテン!いそいそ見に行ったらすでにもーママ友できないネタでいろんなところでわちゃわちゃしてるわさ(他所でね)

なんかこれってあれじゃね?ある日スクールカーストで上の方の女子がさー最下層の私の好きなマニアックな漫画に目をつけてくれんの、そんで楽しく会話してて、まいあがってたら翌日熱出して
二日間学校休んで三日後に教室行ったらそのマニアックな漫画でクラス中みんな盛り上がってんの。

それでもそれに気づいてない自分に上位女子が、「教えてもらった漫画みんな好きだって!すっごい流行ってるよ!」って手を引いて輪の中に連れてってくれるんだよ!!

キャーーーー!!!!

そんな感じ。そんな感じな戸惑いとコレジャナイ感に心揺さぶられ隙間風ピープー吹いてる。こじらせ女の心境は複雑なんすよ。

そのあと、かの有名なはてなブログ主婦ブロガーのトップの方にまでに飛び火して、(←エゴサーチに引っかかるから名前を出せない)いやー、この話題育ったなあって感慨深くなったものです。
ブログのおもしろさは実はこういうところにあって、自分みたいな末端のブロガーでもいろんなところにメッセージが波及していくことによってたくさんの人から意見を聞くことができるところなんですよね。別に自分が有名にならなくてもいいんですね、いろんな人を巻き込んでいけばいいんです。それを実感した事件でした。


それからこのブログのりんご日和の記事がグーグル先生に気に入られて「リンゴ日和 互助会」キーワードで(引用した元ネタも抜いて)トップに出てくるようになってたのよ!!!あのエントリーだけここ3ヶ月のアクセス数が跳ね上がってびっくりしています。ひーたむさんのファン(か興味だけの人)が見にきてくれてんだよね、たぶん。あとはてな互助会って何か?って興味持った人とかかなあ?わざわざ見に来てくれたのに中身が薄すぎて申し訳なかった。もっと詳しく書いておきますよ。

時系列にはなっているけれどあれ書いていた時はまだ全然ご本人と交流なかったから、本当に好き勝手に書いただけなのよ。援護とか贔屓じゃないんです。今読んだ人は私が互助会的な人だと思われてるかもしれないけどまだツイッターのフォロワーですらなかった時に書いてます。その後隠れウォッチャーとなりツイッターで繋がって、ライブドア移転のこととかもフォロワーならみんなわかってたからね。それから色々あって今交流できるまでに。(隠れられてないじゃないか!)

このブログっていわばA面の丸パクリ記事が何個ものってる訳で(ただ引っ越す前に書いてたのが残ってるだけだけど)、それでもキーワードでトップとか上がるんだね、とたいへん驚愕しております。急いで消していく予定。
以上




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ママ友0人できないよ

表ブログで先月末、はてなブログのトップに出てしまい、読者が100人越えてしまったタイクツです。
はてなブログのトップには人気の記事というのがあって、アルゴリズムがよくわからないのですが日替りで4エントリーくらいが掲載されています。私の記事もアップした4日だか5日後にいきなり選出されていてスパムコメントの通知が次々きたので「は?なに?何が起こった??」と気づいて青ざめました。特に人気の記事でもなんでもなかったです。あれなんでいきなり人が締め切りに追われてる最中に大砲打ってくんの?料理長のオススメくらいの気まぐれメニューじゃない?

しかしながらはてなブログでは読者100人とか普通に底辺らしいのです、当初56人を想定していたのでさっぱりわからなかったとですが、あんま気にしなくていいみたい。ブクマもすごくこわかったけれど、実はすぐに忘れ去られていく週刊ジャンプの人気投票みたいなもの。

そう、ブログを真面目に取り組み始めて気づいたのが、これはひたすら消費されるメディアだということです。注目も称賛も批判も、一時的なムーブメントと時代熱で煽られては失速して沸騰しては冷却して、いつの間にか誌面から消えている。

それでも、その刹那的な感動や熱をコツコツ積み重ねることで、作品全体に安定した支持が得られるようになります。一瞬一瞬が刹那でも、それを繋ぎ合わせた全体像に作品としての完成度が感じられるものが娯楽コンテンツになりうる、そんな気がします。

だから、私のような末端のはてなーでも毎回色々絡んでくれる人がいて嬉しいし、やってよかったと思いました。今のところブログというメディアは不特定多数との絡みと、進行性、変化、断続性がないとその面白みを発揮できないと思って頑張っています。


ですが時々虚しさが心に宿る時があります。ママ友よりも虚しいです。ママ友ではなくブロ友、なんだろう、この虚しさは。。。ママ友より、はるかに清らかな建前とドギツイ本音が行き交う社交界、それがブログ。
なんかそろそろブログの人間関係の方を分析したくなってきたなあ。その方がよっぽど楽しそう。やっぱり私はママ友0人はできない(だってリアルのママ友がもう56人くらいいそうだわ)、むしろブログでママ友0人を目指そう。そんな風に考える今日この頃です。




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はじめに

ママ友とは、いったい、なんでしょうか?

私は、母親業10年やってるのに、「ママ友」と呼んでる人が1人もいません。そもそも自分、ママじゃないし。母ちゃんだし。

しかし、TVやネットでは「ママ友地獄」「ママ友カースト」「ママ友ランチ」「ママ友トラブル」枚挙にいとまがないビッグキーワードの数々!試しに載せてみたけれどひとつもネタがなないので検索エンジンからきた方には期待に添えず誠にアイスミマせん。

そればかりでなく、「私のママ友がね。。」などと話す人にも1人もでくわしたことがありません。「ママ友なんて、都会の人口密集地だけで起きてる特殊現象でしょう?ヘン!」と達観してみましたがよくよく考えると自分もそういうベッドタウンに住んでいました。
これは奇跡でしょうか?

少ない経験値から想定してみた結果、原因は、私の異常なまでの薄っぺらい社交性(コミュ力不足)にあるのではないかな?という悲しい結論に到達しました。

つまり、私の周りにママ友がいないのではなく、「この人にママ友て。。。なんか言えない雰囲気」が私側にあるのですよ、、、全て私が悪いのです。

それでも「ママ友」つくろうと頑張ったこともあります。努力して空回りして自己嫌悪したことも何度もありました。涙ちょちょぎれた時もありました、でも、5年くらい背伸びしてみて、気づけばアッサリあきらめている自分がいました。

顧みればかれこれ20年くらい、同様な努力をしてきたにもかかわらず、なにも結実してこなかった自分を直感的に悟りました。

そこで、そういう滑稽な自分を晒すことで、ムダに思い悩む「ママ友0人」の同輩達の間違った努力の方向性をただすべく、「どうしてママ友0人なのか」の原因分析こじらせ妄想を日々綴っていくことにしました。これはそういうブログです。

分析がウザくてアレですか。。。?わかっています。だからママ友0人なんです。





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