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ブログは人生を写す鑑ではあるが人生そのものにはなりえない

ブログから大分心が離れてきたので心が安定してきました。

あの、「活動し続けていないと損をしている気分」はスマホアプリゲームに匹敵するムダな焦燥感だったように思う。

それくらいのめり込んでいた(笑)

まあそれくらいのめり込まないことには第一線に立てない世界でもあるとは思う。でも私はそこまでやっていたら「ヤバそうだ」という感覚のが強くなってしまった。

今日、娘と話したことだが、この「これ以上深みにはまったらヤバそうだ」という感覚はつきつめると「失敗したらヤバイ」という感覚に似ていると思う。

この感覚は「失敗してみなきゃわからない」というありていの言葉では払拭されない。遺伝子とか本能に刻まれた何かなのだと思う。娘にもそれがあるというのがわかって、大袈裟だけど、これはDNAレベルの性質かなにかなのだなと強く感じた。

今まで生きてきて、「この人は同じ側の人間だな」と感覚的に思った他人はみなこの性質の人だったように思った。「失敗を極度に恐れる」というと語弊があり、実際には「石橋を叩きまくって渡る人」

石橋が、安全なことはわかってる。ただ落ちるのが怖い。落ちてひどい目に遭ったことはないのにも関わらず、落ちるのが怖い。落ちてケガするのが怖いとかではなく、どんな落ち方するのかわからなかったり、落ちた後に「石橋落ちた人」と見られた自分とどうつきあっていけばいいのかわからないのが怖い。

周りにどう見られるかと言うより、自分が「なんであんなバカこと」「やらなければよかったのに」「自分の愚かさのせいでろくなことにならなかった」などと死ぬほど後悔したり自責の念にかられたりしそうで辛すぎて怖い。自信過剰なうえに自意識過剰なのだ。だから自分を納得させるために(やるだけやっての失敗だから仕方なかったと思えるように)石橋を叩きまくる。

私はこういう部分については自分の幼少期にコンプレックスが強くなったり否定される経験が続くことで育まれたと思っていた。でも娘をみていたら、小さな頃からすごく自己肯定感が強く、周りから全面的に容認してもらえるような環境にいたにもかかわらず、ずっとこの性質を持ち合わせ続けていたことから、先天的な性質だと感じた。

ではこれをどう克服したらいいのか?

娘が言うには「もっと色んな成功経験やチャレンジ体験を積むことで、自分を信じることができるようになって、怖くなくなるのだろう。それはなんとなくわかるのだ」とのこと

それもそうなんだけど、私の経験からすると、解釈がちょっとちがったのね、
「色んなチャレンジやつまらない体験から色んな失敗や恥ずかしいことを経験していくうちに、あれ?意外に私は失敗してもなんてことないな、ということがわかって脳も慣らされて、そのうちどーでもよくなる」そんな感じ。
でもそれいったら「どーでもよくなるのもどーかと思う」と娘にも言われたので、確かにそういうみずみずしい劣等感みたいな感覚って、それを失うことへの恐れが昔はあったなあ、(思春期特有な少女性喪失への怖れみたいなやつ?)と思ったがそれは言わないでおいた。

そんなこんなでみずみずしい劣等感はとうに失われかけた私だけれど、まだあの頃と変わらないような絵と文とか書いてて、それにのめり込むのが怖いとか、そういう感覚があるのかと気づいてびっくりした。
でも考えてみたら、石橋わたるのが怖いんじゃなくて、もっと簡単に渡れる方法が他にあって、そっちやってみないと死ぬほど後悔しそう、という怖さかもしれない。
いま、リアル世界の方が、色々作ったり表現したりして誰かに喜んでもらえる機会がたまたま多いものだから、そっち頑張らないと、あとで「なんでブログなんかにこんな時間裂いて多くのものを犠牲にしてきたか!!!」と自分を呪い殺しそうに後悔するのが怖いんです。

やっぱり、ネット上の誰かに文字列だけで喜び伝えてもらうのと、実際に目の前にいる相手に笑ったり喜んだりしてもらうのと、全然ちがう、反応がライブで見られる方が自分も嬉しくなるし断然おもしろいのです。

たとえて言うなら、今まで一心不乱に石橋つくったり叩いて強度確認したりして渡ってきたんだけど、そこにクルージングというチャンスが巡ってきたような感じ。クルージングして川回ってきてからまた石橋作業やればいいんじゃない?というような。今クルージング免許とるための勉強に時間かけたいのに、石橋叩いてるわけにはいかない、とかそんな感じなのです

ブログとか石橋のが優れてることもあるし、それは例えば、もう関わる人の母数が全然ちがうとか、自分の範疇も時もはるかに越えた様々なクラスタとの交流があることだとか、魅力がちがうのはわかってはいます。実際、石橋やブログの方が時間はかかるけど、より時も空間も越えた多くの人びととの対話が可能なのでしょう。

でも石橋を作るのが目的になってはだめですよね。川を渡るだけが目的になっては。川を渡ってクルージングの免許取りに行ったり、どこかへ遊びに行ったり、見知らぬ誰かがその橋を渡って新しい道を見つけたり、そういう喜びとか生活が橋の向こうにあって、いよいよ石橋も価値のあるものになるという気がします。

ブログは人生を写す鑑なのかもしれないが、人生=ブログにはなりえない、ですよね

今はそんなこと考えています。だんだんただの日記になってきているけど、もちろんこれもB面記事であり、なんとこのA面をはてなに書きます。

ようやく書きました。
【徹底比較】ママ友は投資、ネッ友は定期積立、賢く運用しよう【第3回戦】
http://mamazero.hatenablog.com/entry/mamazero108





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